終末期安息外来

    最後まで自分らしく、穏やかに

    がん・終末期安息外来

    当院では、がんを含め終末期と診断された場合、死を抗うのではなく、死を受容し、残された命を最大限輝かせながら最後まで自分らしく、また家族と穏やかに過ごすことを目的とした「終末期安息外来」を開設しております。
    (*当院における終末期の定義とは:病気が治る可能性がなく、数週間~半年程度で死をという場面を迎えるだろうと予想される状態のことを指す。一般的にはがん終末期や老衰などがそれに該当する)

    日本は学校や家庭で死に対して話し合いを持つ機会がなく、また核家族化した家庭環境により死と向かい合うことも極端に少ないため、死に対しての受け入れ準備も知識もないのが一般です。このような状況下で突如死の宣告を受ければ、当然本人、家族の双方ともにパニック状態となります。
    その後の心理的変化においては、個人差はありますが大まかには、死生学研究の第一人者、エリザベス・キューブラー・ロスが提示した「死の受容プロセス・5段階モデル」を経ていくと考えられています。

    死の受容プロセス・5段階モデル

    第1段階:否認と孤立(denial & isolation)

    自らの命が危機にあり、余命があとわずかである事実に衝撃を受け、それを頭では理解しようとするが、感情的にその事実を否認(逃避)している段階。周囲から距離を取り、孤立していることも多い。

    第2段階:怒り(anger)

    自分が死ぬという事実に対して「どうして悪いことをしていない自分がこんなことになるのか」「もっと悪いことをしている人間がいるじゃないか」というような怒りにとらわれる段階。根底に「なぜ、自分が」という、死に選ばれたことへの強い反発がある。

    第3段階:取り引き(bargaining)

    神や仏にすがり、死を遅らせてほしいと願う段階。財産を寄付したり、これまでの行為も改めるので死を遠ざけてほしいと神と「取り引き」をしようとする。なんとか、死を回避しようと模索し続けている状態。

    第4段階:抑うつ(depression)

    「ああ、これだけ頼んでもダメか」「神も仏もないのか」という思いと共に、死の回避ができないことを悟る段階。虚無感にとらわれることもある。

    この4つの「精神的苦痛」が時には並列に、時にはランダムに、時には重複しながら、死に直面した人を襲います。この「精神的苦痛」だけでも大変なのに、終末期にはさらに「身体的苦痛」「社会的苦痛」「霊的苦痛」と呼ばれる3つの苦痛がプラスされた全人的苦痛(トータルペイン)と向き合わねばなりません。

    この全人的苦痛に対して、一人で、または家族だけで戦いに挑むのはあまりにつらい。
    しかし2時間待ちの3分診療と揶揄される通常の病院では、全人的苦痛に対して、解決方法を提示することは難しく、身体的苦痛に対して鎮痛剤、精神的苦痛に対して抗不安薬などの薬が処方される程度です。
    これに対してこもれびの診療所「がん・終末期安息外来」では、すべての苦痛に対して、解決策を共に考えていきます。そして最終的に、「死の受容プロセス」の第5段階:受容(acceptance:生命が死んでいくことは自然なことだという気持ちになる。死生観を形成し、自分の人生の終わりを、静かにみつめることができる、心に平穏が訪れた状態)を目指します。

    全人的苦痛の対処法

    身体的苦痛

    がん・終末期安息外来

    痛み、かゆみなどいわゆる身体に起こりえる苦痛です。これは西洋医学が得意とするところで、現在痛みをコントロールできる薬はとても発達しています。
    当院では、副作用がなく、安全に行える治療として高濃度ビタミンC点滴療法オゾン療法、交流磁気治療東洋医学的治療(鍼・漢方)、栄養療法、ラクリスマッサージなどの補完代替医療をご希望、状況に応じてプラスすることができます。
    このように統合医療的な治療により、死が訪れるその日まで、身体に苦しみの少ない、笑顔の多い毎日をお手伝いします。

    社会的苦痛

    がん・終末期安息外来

    仕事や経済などいわゆる社会的な問題に対する苦痛です。これに対しては、終活のプロフェッショナルをご紹介致します。お金のこと、片付けのこと、お葬式やお墓のことなど死後事務に関しての諸々の問題の解決を図ります。

    これは本人よりも家族にとって重要になります。
    例えば、配偶者の死における社会的トラブルとしては「遺言状は書いてないための相続トラブル」や「家族に知らせていない負債の出現による家族の困窮」などの経済・法律上の問題、「預金通帳の場所やパスワードが不明」や「お互いの交友関係について知らないために死亡通知はだれとだれに出してよいのかわからない」などの日常生活での問題などは、本人の死後生き続ける家族にとって非常に大切な問題です。

    死から目をそらし続ける場合、これら社会的苦痛の対策が一切行われないまま死を迎えることがあります。しかし、こもれびの診療所では、これらのプライベートな問題点に対しても、目をそらさず、きちんと話し合う時間と機会を作り、最後の望みをかなえる「リビングウィルノート(「生前の意思」という意味の英語の音訳。終末期医療を迎える人たちが、元気なうちに延命措置などに対しての意思を記しておく終末期医療における事前指示書)」や「エンディングノート(自分の人生の終末について記したノート。家族や友人に伝えておきたいことや自分の希望などを書き留めておく)などを使用しながら、残された家族の不安を払しょくし、本人が安心して旅立ちを迎えることができるように、お手伝いさせていただきます

    精神的苦痛・霊的苦痛

    死生学研究にて博士号を持つ院長の加藤、看取り士の資格を持つナース、セラピスト、そして鍼灸師がタッグを組んで対策を行います。

    苦痛への対処法

    死生学研究
    がん・終末期安息外来 簡単に言えば、死後世界を科学的に研究する学問です。詳細は著書「人は死んだらどうなるのか」に詳しく書いておりますが、簡単に言えば死後の世界は、以下に集約されます。

    • 死後、私たちは物理的肉体苦悩から全て解放される
    • 死後、私たちは、必ず先に旅だった最愛の人達、そして常に自分を見守り応援し続けてくれた守護天使に会える
    • 死後、私たちは地球では経験したことのない圧倒的な愛にあふれる場所に行く

    つまり死後の世界は恐ろしいものは何もなく、優しさと幸せに満ちた愛いっぱいの場所である、ということです。この研究結果を示すことで、死に対する恐怖は減弱し、多くの霊的苦痛を解消することができます。

    看取り士
    がん・終末期安息外来 誰にも訪れる旅立ちの時を安心して、幸せに迎えられるようにする専門職です。
    現実的に迫る死の問題、「どこで死にたいか?」「最期の時、誰にそばにいてほしいか?」「どんな死に方をしたいか?」などの要望を本人、家族と話し合い、死にゆく人が最期、愛されていると感じられる幸せな旅立ちを支援します。
    死の過程で起こる多くの不安が減弱し、安心に変わることで、精神的苦痛が解消していきます。

    東洋医学的治療
    がん・終末期安息外来 当院では「頭鍼療法」と「渦電流放出装置」の2つを組み合わせた治療で、速やかに脳システムを整えます。
    これらの治療は、薬物療法のような副作用がなく、短期間で効果を実感することができますから、通常、長期治療を必要とする精神的苦痛に対して、非常に大きな武器になると考えています。
    また渦電流放出装置は、幸せホルモン「オキシトシン」を放出するマッサージ機能も備えているため、その効果も加えて、出来るだけ早期に、精神的苦しみから離脱を試みます。
    →頭鍼療法(山元式新頭針療法®)ついて、詳しくはこちら

    以上を組み合わせることで、全人的苦痛を癒し、死を受容し、残りの人生をできる限り幸せに送って頂きます。それがこもれびの診療所における「がん・終末期安息外来」の概要です。

    こもれびの診療所でなぜ死を受け入れる「がん・終末期安息外来」を行うのか

    最後に、こもれびの診療所にてなぜ、がんと闘う外来ではなく、死を受け入れる外来を行うのかについて説明させてください。

    それは、これまで私が体験してきた死とのかかわりが大きく影響しています。
    小学生の時、急性白血病で亡くなった叔母。中学の時、お世話になった小学校の担任の先生。大学の時、気管支喘息大発作で亡くなった親友。研修医の時、胃がんにより亡くなった叔父。そして大好きだった祖父母。特に、祖父は、誰も望んでいなかった胃ろうにより3年間、寝たきりのまま生かされるというつらい最後を迎えさせてしまいました。
    医師になってからは、さらに多くの死や苦しみを体験してきました。
    小児科勤務中には、脳腫瘍や事故で幼くして命を失う子供、生まれてすぐ命を失う乳児、障害児を抱えて苦悩する家族などの「悲しみ」「苦しみ」と向き合いました。
    介護療養型医療施設勤務中には、老いていく苦しみを抱え死にたいと願う人、死を拒絶した医療により、食べることもしゃべることも動くこともできないまま生かされている人、気管切開や胃ろうなどの延命治療を行った後、後悔している家族など、小児科とは全く違った「命」、そして「死」に遭遇しました。
    がん患者さん達の集うクリニックでは、10代から80代までの幅広い年齢層の「死の不安」を抱えた人たちと向き合いました。
    私は医者として20年、0歳から100歳までのさまざまな「命」、そして「死」と共に「時」を過ごしてきました。

    2人の幼子と妻を残して、余命3か月と宣告されたがん患者に、こう問われました。
    「先生、なぜ私なのでしょうか。これから、家族で幸せになるときに、なぜ私がこんな小さな子供達と妻を残してがんで死ななければならないのでしょうか。先生、死ぬのが怖いです。助けてください。助けてください。」
    4歳と2歳の子供を残して迎えようとしている死、同じ子供を持つ親として、彼の無念さを思い、診察室で共に涙しました。

    交通事故で、脳死を宣告された子供を持つ家族からは、こう尋ねられました。
    「なぜ、みんなに愛されているこの子が死ななければならないのですか? なぜ、この子なのでしょうか?」
    ショッピングモールの駐車場で起こった突然の事故でした。兄を追いかけて飛び出したことが原因の事故でした。ベッドで横たわる姿は、ただ、眠っているだけのように見えます。今にも「おはよう、ママ」と笑顔で起きてきそうです。しかし、彼は、もう起き上がることも、笑顔を見せることもできません。呼吸器を止めた瞬間、息絶えるのです。

    95歳、誤嚥を繰り返すために胃ろうを挿入され、食べることもしゃべることもできず、ただベッドで横になり続けるだけの生を過ごす老人の家族からは、このように言われました。
    「先生、父は胃ろうを入れたことは失敗だったのでしょうか。父は生前から、苦しまず死にたいと申しておりましたのに、それと反対のことをさせてしまいました。これなら早く死なせてあげたほうがよかったでしょうか。」
    どのような状態であれ命を生かすという選択は正しいのか。死を受け入れることは悪いことなのか。老人大国となった日本の医療現場で、常に続いている葛藤です。

    これらの死、そして苦しみに私はいったい何ができるのか・・・・。
    いったい何と答えてあげればよいのか・・・・。

    「医者の仕事は何か」と聞かれれば、当然「病を治すこと」、「命を救う事」と答えます。それが医者の使命であることは間違いありません。しかし、医療は万能ではありません。治せない病気もあるし、救えない命もたくさんあります。そもそも、人は必ず死にます。
    どれだけ医学が進歩したとしても、私たちの未来から死が消えることはありません。
    ならば、治すことのできない病、避けられない死に対して、医師として何かをしてあげたい、絶望の淵にある患者さんに、手を差し伸べてあげたい。
    その思いの中で私が行ったのが「死生学研究」でした。(死後研究により3つの博士号を取得)そして、その研究結果から死後の世界は優しさと幸せに満ちた場所であることを確信し、それ以後は、延命のみの医療は明確に「NO」を示し、死を優しく、またできれば笑顔で迎えることのできる日本を作りたい、そのお手伝いをしたい、と思い、現在の活動を行っています。
    どうか、日本が、人生の最後を笑顔で迎えられる国でありますように。

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