頼まれごとを淡々とやっていく

      2021/06/04

愚痴を言わず、「うたし(うれしい、楽しい、幸せ)」を続けていると、必ず頼まれごとが増えてきます。
私は「やってほしい」と頼まれたことは、基本的に全部引き受けるようにしています。

 

ただし、単なる頭数合わせのための誘いや、すでに先約がある場合、借金、出来ないことは断ります。

ただ頼まれごとが始まったら、ただひたすらやっていく「頼まれごとの人生」が幸せだと思っています。
そのように生きていると、自分がある方向のもとに使われていることに気がつきます。

それが

「使われる命」……「使命」「天命」

というものです。

「つかわれる」という言葉は、真ん中に「わ」の字があります。これは、宇宙からの要請に応えて、宇宙と「和」すること。宇宙と和することが「使われる」ことであるのでしょう。
宇宙からの要請に応えていれば、どんなに働いても疲れないように思います。でも、宇宙と和することを拒否して、自分の好き嫌いの感情や「自我」で生きていくと「和」がなくなり、「つかれる(疲れる)」という状態になります。
頼まれごとをしていくうちに、自然に、「使命」「天命」というものが見えてきます。だんだん同じようなことを頼まれることになり、そして2~3年やっていると「私はこれをやるために生まれてきたのかな?」と気づく日が訪れる。それがわかってからの人生はすごく楽しいものです。
私たちが生まれてきた目的は「いかに喜ばれる存在になるか」ということ。それはつまり「いかに頼まれやすい人になるか」ということでもあります。そして頼まれごとを「はい、わかりました」と続けていると、「喜ばれる存在」になります。
「頼まれごと」とは、自分で汗をかいてその人の要望に応えることをいいます。自分にできることは、頼まれたらどんどん引き受けるのが良いように思います。

 

なお頼まれごとに対して私は「適当に」にやる様にしています。

適当とは、手を抜く、ということではなく、「適度に」ということです。「引き受けたからには、いい仕事をしなくては」などと気負わず、そのときの力で「よい加減」で、適当にニコニコとやっていけばいいと考えています。

頼まれたときに、「自分にはできない」と勝手に判断して断ることを「傲慢」と考えいます。

基本的に、できない頼まれごとはきません。

ただし、自分の中に「できないことでも何でも、引き受けてやるぞ」という気迫があると、できないことまでも持ち込んでしまい、行き詰まる危険があるため「適度」を守る様にしています。

なお、引き受けたら自己嫌悪が(引き受けないときよりも)大きい場合や、物理的に不可能な場合は断る、というのを私の断る基準にしています。

 

不平や文句ばかり言っていたり、笑顔も見せず眉間にしわを寄せたりしていると、人から頼まれにくくなります。

 

「頼んだことを気持ちよくやってくれるから、あの人にまた頼もう」と思われたとしたら、「喜ばれる存在」として、1つ実践できたことになるのではないでしょうか。

 

人間の生きる目的とは、頑張ることや努力すること、何かを成し遂げることではありません。また、「長く生きること」が目的なのでもありません。
「生きている間にどう喜ばれるかだけ」

というのが、私が到達した結論です。
 

頼まれごとの多い人生でありますように。

 

今日も最後までお読みいただきありがとうございました。

 





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